●文永紀年の供養塔 1基 平成7年9月29日指定

(砂岩 高 地面より101cm 幅78cm)
文永10年(1273年)の年号が刻まれた供養塔で、松島町最古の板碑です。
碑文
ア(梵字=大日如来)文永十年大歳癸酉七月十三日孝子敬白


●天麟院洞窟 5基 昭和47年6月27日指定

江戸時代
凝灰岩壁を掘削・加工した5つの洞窟があります。
北から数えて第1窟は伊達政宗の三男伊達河内守宗清を供養した塔や寛永年間の伊達一族の供養碑などがあります。
第2窟は、政宗の四男で岩出山領主伊達三河守宗泰の供養塔を中心に左右に10人の殉死者の塔が並びます。

 

 

●圓通院洞窟 7基 昭和47年6月27日指定

江戸時代
7つの洞窟があり、伊達政宗の七男宗高の供養塔や殉死者の供養碑群が建っています。


●品井沼潜穴(せんけつ) 昭和53年7月15日指定

江戸時代
江戸四代藩主立て綱村によって元禄6年(1693年)から11年まで行われた品井沼の干拓工事の際に、松島湾までの排水工事として作られた潜穴です。
潜穴の長さは2600mにも及びます。工事の際に土砂を取り上げたのが「ずりだし穴」です。


●松島明神跡 昭和53年七月15日指定 
松島明神(高城の紫神社)が、最初に位置したところである、と伝えられています。

 

●覚満禅師墓碑「付・防火石」 1基 平成7年9月29日指定 

覚満和尚は瑞巌寺の前身、臨済宗円福寺6世で、13世紀から14世紀の人物。
国指定重要文化財「奥州御嶋頼賢碑」にも、その名が見られます。円福寺歴代の中で、松島で墓碑が確認されているのは覚満だけです。

防火石は瑞巌寺の火鈴巡行事の発端となった伝説に由来する石です。