この建物は文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が一木一石変えずこの地に移したものと伝えられています。
現在観瀾亭では、抹茶等も提供しておりますのでのんびりと旅の疲れをおとりください。


■観覧料
大人200円 高・大学生150円 小・中学生100円
※30名以上団体割引

大人150円 高・大学生100円 小・中学生80円

■抹茶とお菓子のセット

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■松島海岸駅から徒歩7分
■交通アクセス
 

観瀾亭

 

建物は東西に向き京間18畳2室からなり四方縁をめぐらした簡素明快な建築である。
床の間の張付絵や襖絵は壮麗な極彩色で画かれており、柱間1間6尺5寸の京間であること、軽快な起りを持つ屋根からして桃山時代の建築であると考えられている。
藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれたが、公式な記録によると藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使等の諸国巡回の際の宿泊及び接待用の施設となる「御仮屋」として利用されていた。
江戸時代の終わりまでこの敷地内には藩主などに随行する侍の部屋、台所、馬屋など11棟あまりの建物が存在しており、観瀾亭はその中で一部分が現存しているもので我国でも貴重な建物である。
 

 

御座の間

 

藩主等の賓客の間であり床の間、襖、障子腰板に金箔を張り付け、極彩色で画かれた桧と槙・笹竹等を中心に林木花卉と渓流の図は、構図法・彩色方から伊達家お抱の狩野派系統の絵師の遺品と見られている。
床の間の「雨奇晴好」の額は5代藩主吉村公の筆で宋の詩人蘇軾の詩から採った句である。
この亭を「観瀾亭」と命じたのは吉村公で廊下の額は江戸中期の書家佐々木玄龍の筆で次の間との欄間にかけてある「観瀾」の二文字は7代藩主重村公による。
 

 

どんぐりころころ歌碑

 

童謡「どんぐりころころ」は松島町出身の青木存義先生が、文部省在職中の大正年間に松島での幼き日を偲び作詞されたものであります。
観瀾亭敷地内に歌碑があります。
 

 

松島博物館

 

 

正確な5千分の1の空から見た松島の立体模型や松島にゆかりのある文化財の品々のほか、季節に応じた展示を行っています。